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島根県浜田市にある教会です。

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イエスは彼らにこう言われた。
「全世界に出で行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」

マルコの福音書16章15節


梅の季節を過ぎ、桜の季節を迎えようとしています。
卒業式を終えて新しい学校の入学を前にしておられる方、4月から新入社員として
社会に出て行こうとされている方、それぞれが不安と期待の心でおられるのではないでしょうか。

春は別れの時であり、同時に新しい何か始まる時でもあります。
今、どんな事に希望を膨らませておられるでしょうか。

私たちの教会はインマヌエル綜合伝道団という教団の中の一つの教会です。
先日、全国のインマヌエル教会の牧師達が集まる年会が開かれました。
年会というのは1年に1度行われます。それは牧師達が1年に1度、研鑽と霊的に整えを頂いて
新しい任命を受ける時です。
ですからインマヌエル教会の任期は1年で、毎年新しく任命を受けている訳です。
私と家内は浜田教会に今年度も任命を受けました。
14年目になります。私たちの思いは「今年度も神様から浜田に使わされた。
心新たに一年間ご奉仕をしたい。」そんな気持ちで帰って参りました。

私たち牧師のする仕事は多岐に亘りますがその中心は福音を伝えることです。
日本も世界も変化し、人間も変化してきています。
そんな時代にあっても牧師達のすること、教会のすることは福音を伝えること、
キリストの救いを伝えることに尽きます。

新しい年度も多くの人に福音を伝え、証が出来たらと考えています。

そして多くの方々と喜び神を賛美したい、そんな1年にしたいと願っています。
お祈り下さい。

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2013.03.30 / Top↑
キリストは、私たちのために、
ご自分のいのちをお捨てになりました。
それによって私たちに愛がわかったのです。
ですから私たちは、兄弟のために、
いのちを捨てるべきです。   

             第Ⅰヨハネ3章16節



これはイエス様の弟子のヨハネが書いた手紙の中の言葉です。

兄弟のためにいのちを捨てるべきです。
とはびっくりします。

でも人の生き方にはおのずと与える生き方と奪う生き方に
決まってくるのではないでしょうか?

ヘボン式ローマ字をつくったことで知られる
ヘボン宣教師という人がいました。

彼は57歳までニューヨークで医者をしていましたが
1857年、開国したばかりの日本に医療宣教師としてやってきました。

若い頃からの夢であったアジアに聖書を伝えたいという願いを叶えるためでした。

最初、横浜で多くの日本人に無料で医療をしました。
そのかたわら日本語を学び、聖書を日本語に翻訳するために
和英辞典を作りました。

青年の教育にも力を注ぎ、ヘボン塾は明治学院大学の前身となりました。

中年になった彼がニューヨークで医者を続けていたら
安定した生活送れただろうと思います。
でもそれらを全部捨てて日本に宣教師としてやってきたのです。

正にヘボンという人は与える生き方をした人と言えるのではないでしょうか。

その逆の生き方があります。

それは奪う生き方です。人の命を奪い、財を奪い、
ある時には人の希望を奪います。

子供が親の命を奪い、親が子供の命を奪う事件が増えています。
そうかと思うとギャンブルで相撲界を追われた人もいます。

これらはみんな、奪う生き方です。

私たちの生き方はどちらでしょうか。

ヘボンが与える生き方が出来たのはキリストが
自分のために死んで下さったその愛が分かったからです。

人でも誰かに愛されている事が分かると希望をもって元気に生きて行けます。
同じ様にキリストが自分を愛していてくれるということが分かる時、
その人の生き方が変わってきます。

奪う生き方から与える生き方に変わるのです。

あなたはどんな生き方をされているでしようか。

奪う生き方でしょうか。それとも与える生き方でしょうか。

「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。
それによって私たちに愛が分かったのです。」 

そんな人になって下さい。

お祈りしています。
2010.07.14 / Top↑
悲しむ者は幸いです。
その人は地を相続するからです。

マタイの福音書5章4節


イエス・キリストは
「悲しむ者は幸いです。」 と言われました。

普通に考えると悲しむ人は幸いではないのです。
親しい人を亡くして悲しんでいる人は幸いではない、
仕事が上手くいかず悩んでいる人も幸いではない、
好きな人と別れて悲しんでいる人は幸いではないはずです。

イエス・キリストが仰っている悲しむ人とはどんな人のことでしょうか?

それは神がおられて、自分は神の前に
罪を犯して生きている事に気づいて
そのことに悲しんでいる人のことです。
でも普通人はそんなことに気づきはしないのです。

キリスト教という信仰が
日本の国に広まっていかない大きな理由の一つが
この当たりにあるのだと思われます。

ラジオなどでも朝、メッセージをされている、
ある有名な牧師さんがおられます。
その牧師さんはお父さんが牧師だったので
小さい時から聖書の話しはよく聞いて知っていました。
ですから自分は罪人だということが
観念的に頭では分っていた。
でも心の深いところでは理解出来なかったそうです。
しかし、高校生のある時、
メッセージを聞いているうちに
「心が刺される」という経験をされました。
自分自身の罪の恐ろしさに
いてもたってもおれないという経験をしたそうです。
その時しがみつくようにして
イエス・キリストの十字架を見上げて救われたのです。

私達も神が分り、イエス様が分る時、
自分の本当の姿が気づき罪に悲しむ者になるのです。
でも人にそこまで深く分らせる事は
大変難しいことです。
これは神の助けなしには出来ない事です。

私達は神から離れて罪を犯しながら生きている惨めな者なのです。

そのことに気づいて悲しんでいる人はいませんか。

あなたを救うことの出来るのは
イエス・キリストの十字架だけなのです。

どうぞ、教会に行って下さい。
そしてイエス・キリストの十字架を信じる事によって
罪が許される事を経験して下さい。

お祈りしています。

2008.09.13 / Top↑
「心の貧しい者は幸いです。
天のみ国はその人のものだからです。」

マタイの福音書5章3節


人は誰でも幸せな人生を送りたいと考えています。
人々は幸せになるために富や名誉や地位を得ようと努力します。
又、ある人は学問や才能や美貌が幸福への道であると考えます。

果たして、これらを手に入れたとしても
本当に人は幸せになる事が出来るのだろうか。

大勢の人がキリストの話を聞こうとして集まって来ました。
当時のイスラエルの人々はローマの圧政の下にいました。
重税に泣いていました。
戦争はありませんでしたが夢も希望も持てない中にいたのです。

現在人である私達も将来に
希望や夢を持ちにくい時代に生きているのではないでしょうか。
そんな時代にあって幸せについて
キリストの言葉に耳を傾けたいと思います。

キリストは山の上で有名な説教をされました。
その長い説教の最初の言葉が
「心の貧しい者は幸いです。」という言葉です。
一番最初に言われたということは
幸せになるための大きな答えがそこにあるということです。
「貧しい」という言葉は
「物乞いをする」という言葉から来ています。
ですからこの言葉は「心の乞食は幸いです。」と
言い換えることが出来るのです。

心の乞食とは何でしょうか。
それは神に物乞いをする人の事です。
私達は、皆、プライド(自尊心)を持っています。
「神に頼らなくても自分の力で生きて行ける。」
と考えています。
又、「神を信じる人は弱い人だ、
努力さえすれば神の必要はない。」と考えています。
しかし、キリストの言っておられるのは、
人間の力には限界がある。
それを認めて神に頼って生きるようにということでしょう。

自分の力で努力しながら戦い、
ある時には悩み、そんな中でも戦い抜く人もいるでしょう。
しかし、自分の弱さを認め
神により頼みながら貧しい者となって生きていく、
本当の幸せはそこにあるとイエス・キリストは教えておられるのです。

あなたも神により頼みながら生きて行く「心の貧しい者」なってみてはどうでしょう。

2008.09.13 / Top↑
神は実に
そのひとり子を与えになったほどに、
世を愛された。
それはみ子を信じる者が、
ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。

ヨハネの福音書3章16節

先日、私の良く知っている方の息子さんが
結婚をされて日曜日の礼拝にお嫁さんと一緒に出席されました。
その方達は東京から来てくれたこともあり、
又十年振りに会う事もあって非常に懐かしく嬉しい時でした。

十年振り会った息子さんは少し太ったかなと思いました。
案の定、奥様は主人の健康を考えて
バナナダイエットなるものを始められたとか。
朝食はバナナ一本と水だけということでした。
ちょっと可哀想かなと思いつつ、
これも愛が為せる業かなと思ったことです。

もし、ご主人が奥さんの愛を感じないで
バナナダイエットなるものをされたら3日も続かないでしょう。
奥さんが自分を愛してくれていることが
分っているから頑張れるのです。
それと同じように私達も神が
自分を愛してくれていると分る時、
生きる勇気や喜びが湧いてくるのです。

神がどれくらいあなたを愛しているかと言えば、
神のひとり子イエス・キリストを
十字架に掛けてあなたの罪の身代わりに殺すほど愛している。
此の事が分って、励まされて生きているのがクリスチャンなのです。

東京の秋葉原で通り魔リ事件が起こり、
七人もの人が殺されました。
犯人は「誰でも良かった。人を殺したかった。」

本当の動機は犯人しか分りませんが、
仕事でむしゃくしゃしていた、友達がいなかった。
そんな事が報じられていますが、
もし、家族や友達に愛されていると実感していたら、
こんな事件は起こらなかったのではないでしょうか。
そして「神が自分のために
ひとり子イエス・キリストを十字架に掛けて殺す程、
愛していてくれる。」と分ったら
もっと違う生き方が出来たと思います。

あなたは自分が神に
どんなに愛されているかをご存知でしょうか。
そのことが分るとあなたの生き方も
もっと感謝と喜びに変わってくるのではないでしょうか。

どうぞ教会に出席してそのことを知って下さい。
お祈りしています。
2008.09.13 / Top↑
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