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インマヌエル浜田キリスト教会

Author:インマヌエル浜田キリスト教会
島根県浜田市にあるプロテスタント系のキリスト教会です。どなたでもお気軽に教会にいらしてください。あなたに神の祝福と守りがありますように…

  島根県浜田市長沢町129-1
  TEL(0855)22-4815


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「知れ、主こそ神。

主が私たちを造られた

私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。」  


         詩篇100篇3節      


今年も11月下旬を迎えるまでになりました。

もうクリスマスを意識するところまで来ました。

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 このところ、事故や暗い事件が多すぎますね。

私達の小さな町(浜田)でおぞましい事件が起こりました。

被害に遭われた大学生の方、ご家族に浜田の一市民として申し訳のない気持ちでいっぱいです。

言葉もありません。小さな町がテレビカメラや警察の人達で溢れています。

異様な光景です。

一日も早く解決して落ち着きを取り戻したいです。


 どうしてこんな事件が次々起こるのでしょうか。

いろんな要因があるとは思いますが根本的なことは次のようなことではないでしょうか。

 小説家でクリスチャンであった三浦綾子さんの

「あさっての風」という本の中に次のような文章があります。

「私達はだれも、生きているのではなくて生かされているのではないだろうか。」 

私達は誰も自分の力でこの世に生まれたものはいない。

かけがえのない命を与えられている。

そんな風に考えると自分を大切にし、他の人も大切に出来ると思います。

ところが人は神に造られ神に生かされている事に気が付いていないのです。

結局そこまで戻らないと根本的な解決はないと思います。

 聖書の「罪」という言葉の意味は「的をはずす」という意味です。

人はみんな神に向かって、神と共に生きるように造られています。

それなのに自分を神として神から離れて生きています。

その事が「的はずれ」なのです。

最初から的をはずして生きているので良くなる事が出来ないのです。

聖書はそう教えています。あなたはいかがですか。

神に生かされていることに気付き、神とともに生きてみませんか。

お祈りしています。





  あなたがたは、世界の光です。
  山の上にある町は
  隠れることが出来ません。

      マタイの福音書5章14節




梅雨が明けたにもかかわらず、各地に集中豪雨が降り、

大きな被害が出ております。

自然の力の前に人間の無力さをまたしても思い知らされます。

被害に遭われた方々に掛ける言葉もありませんが、唯々祈らせて戴きます。

8月15日は終戦記念の日でありますが、私達の教会、

浜田教会の44回目の開設記念日の日でもあります。

浜田教会は昭和40年8月15日に開設されました。

神学生を中心に片庭町の空き地に天幕が張られて10日間の天幕伝道が行われました。

その時の講師は昭和の始めホーリネス教会の神学生として

浜田で伝道されていた松村導男先生でした。

伝道会は予定が延びて10日間も続けられたのです。

毎日多くの方々が集会に集われました。その時に手を挙げて

信仰の決断をされ、クリスチャンなられた婦人(89歳)が

今でも浜田教会に元気に出席されています。

なんと素晴らしい、嬉しいことでしょうか。

44年の間、浜田教会は浜田の町と近隣の町々に福音の灯りを灯し続けて参りました。

その間、歴代の先生方、信徒の方々の祈りと伝道より

次第に救われる方が興され教会に加わる方々が増やされていったのです。

昭和55年には長年の祈り、願いであった自分達の会堂が

長沢町の丘の上に立てられました。

その時の教会の方々の喜びはどんなに大きなものであったでしょうか。

しかし、喜びだけではありません。

信仰を持った若い方々が進学や就職で他県に出て行くことを毎年経験します。

しかたの無い事ですが、やはり寂しいものです。

苦しみや試練も何回も経験しながら今日の浜田教会があります。

しかし、何時でも変わらなかったのはどんな時でも

イエス・キリストの救いを伝え続けて来たということではないでしょうか。

そしてこれからも世の中の光として人々の救い、憩いの場所として

浜田の町にあり続けたいと思います。どうぞ浜田教会を応援して下さい。

又是非あなたもイエス・キリストの救いの素晴らしさを味わって下さい。

浜田教会を訪ねて見て下さい。お待ちしています。

  
  インマヌエル浜田キリスト教会 

         牧師:山本 剛



福音に生きる



すべての人との平和を追い求め、

また、きよめられることを追い求めなさい。

聖くなければだれも主を見ることができません」


      ヘブル人への手紙12章14節




日曜日にクリスチャン達は礼拝のために教会に行きます。

何のために行っているのだろうか。

日曜日だから、礼拝があるから、程度の理由で、

もしかして行っている人もいるかも分かりません。

でもクリスチャン達が日曜日、教会に行っているのは

「きよい生活をするために、きよい生涯を送るため、

きよい心の持ち主になるためである。」

と言っても良いと思います。

キリスト教というのはそんな宗教です。

でもどうしてそんなキリスト教が日本には広がって行かないのでしょうか。

キリスト教が日本に伝えられてからカトリックは

460年、プロテスタントは150年も経っています。

それなのに日本のクリスチャン人口は1パーセントも満たされていません。

日本は世界中で最もキリスト教を伝えるのが難しい国の一つです。

神道、仏教が日本には根付いているということもあるでしょう。

でも理由はそれだけでは無いように思います。

一つは罪の問題です。

キリスト教は罪からの救いを伝えます。

ところが日本人である私達は自分が罪人であることを

認めたくないのです。

自分の内側はそのままで外側だけの信仰、

ご利益信仰でいいのです。

だから日本人にはキリスト教が合わないのかも知れません。

もう一つの理由はキリスト教は知っているけれど

キリスト教に生きていないクリスチャンが多すぎる

ということではないでしょうか。

福音は知っているけれど福音に生きているクリスチャンが少ないのです。

信仰のゆえに、愛ときよさに溢れたクリスチャンが

少ないというのが理由ではないかと思います。

今年で第10回になりますが私たちの教会で

7月20日に石見聖会があります。

島根県の石見地方にリバイバル(信仰復興)が興ることを願って始められました。

聖会で語られる中心のメッセージは

「人はきよく生きる」であります。

クリスチャンの一人ひとりが福音に生きる者になり、

きよく生きる者になっていく時、日本の国は変わって行くだろうと思います。

クリスチャンであるお互いがもっときよめを求め、福音に生きる者になりたいですね。




今年も僅かとなってしまいました。
一年の過ぎ行く早さに驚いてしまいます。

この年はあなたにとってどんな年だったでしょうか。

世の動きに目を向けますと、世界不況、テロ、日本政治の混迷、
凶悪な事件等、決し明るい年ではなかったように思います。

キリストの弟子の使徒ヨハネは晩年、
口を開けば「互いにし合いましょう」と言っていたと言われています。

私たちがもっと互いにし合ったなら戦争やテロは無くなるでしょうし、
凶悪な事件も減るだろうと思います。

でもそれは簡単なことではないですね。

そこでもう一度、神のについて考えてみましょう。

ヨハネはここにがあると言いました。

ひとり子を世に遣わした。

ひとり子とはイエス・キリストのことです。
キリストは神の子として神と共におられました。

神の世界はと聖い世界であります。
キリストはそのと聖い世界におられたのです。

しかし、人間の世界は罪と汚れと争いで満ちています。

そして人々は永遠の滅びへと向かっているのです。
神はその事を見てじっとしておられませんでした。

人間を救うために地上に神のひとり子、
イエス・キリストを遣わされたのです。

これがクリスマスです。ここにがあるのです。

川や海で溺れている子供を例え泳げないお父さんや、
お母さんでも飛び込んで助けようとします。

キリストは助けるために人間の世界に飛び込んで来て下さったのです。

それ程、神は私たち一人一人をしておられるのです。

キリストをなだめの供え物にした。

神はキリストをなだめの供え物にされました。

十字架につけた、ということです。

神のひとり子、キリストはと聖いお方です。
何の罪も犯されていません。

そんなお方が人間の罪の身代わりに十字架に付けられて殺されたのです。

人間は自分の罪を自分で清くすることは出来ません。

人間のできることは「ごめんなさい」ということだけです。

だから罪を取り除くために聖い神のひとり子が
人間の身代わりに十字架に付く必要があったのです。

ここに神のがあるのです。

戦争やテロや凶悪な事件の本当の解決は
一人一人が神のに気づくことです。

自分がどんなに神にされているか気付くことです。

今年のクリスマスが神のに一人でも多くの人が気付く
幸いな時になるよう祈っています。

     インマヌエル浜田キリスト教会 牧師 山本 剛

一匹の羊

あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、
そのうちの一匹をなくしたら、
その人は九十九匹を野原に残して、
いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。

     ルカの福音書15章4節

若葉の美しい季節になりました。
この季節、草花が咲き乱れ自然界は命に溢れています。
私達も寒かった冬を越し、
何か希望に心が躍る季節を迎えているのではないでしょうか。

何時も浜田教会のホームページをみて下さり感謝しています。

私達の教会は5月の24日(土)、25日(日)に
春の特別集会を計画しています。

今回は福井教会の中川由一先生を
お迎えしての特別集会です。

中川先生は私と郷里が同じ、姫路で、
教会も同じ姫路のインマヌエル教会出身です。
明るく、面白く、福音を語って下さるので
是非、あなたもお出で下さい。

イエス様はルカの福音書の中で
一匹の羊の例え話をされました。
一匹の羊というのは神から離れてしまっている人を表しています。

そんな一匹の羊をさがすために羊飼いは
九十九匹を野原に残したまま探し続けます。
しかも決して見つけるまで諦めないと言われているのです。


今の時代、ガソリンや物価は上がったと言いながらも
食べるものに困っている人はいません。
日本は豊かになり、生活も便利になっているのです。

それではそれに伴って
人は幸福になっているかと言えば
決してそうではないと思います。

昨今の殺人事件、硫化水素による自殺の連鎖、
私達の近隣でも自殺をした人の事をよく聞きます。
それ程、住みにくく、生きていくのが難しくなってきているのです。

悩み苦しんでいる人が何と沢山いることでしょうか。

群れから離れて迷い出て、
傷ついている一匹の羊になっている人々は
私達の周りに沢山おられるのです。
でもその人達は神様の処に、教会には来られません。

どうして亡くなる前に来て下さらなかったのか。

悔しい気持ちになります。

教会のことをご存知なかったのかも知れません。
知っていても、教会は何か堅苦しい、束縛される気がして
行きたくない、と考えておられたのかもしれないですね。
いずれにしても一人の人が教会に来て、
神を信じて生きるようになる(救われる)のは簡単なことではないですね。


浜田教会も特別集会をして
何時も思う事はそれでも人はなかなか
教会に来ないということです。

でも羊飼いは一匹を見つけるまで
探し続けたのです。

私もかつては神から離れて傷ついて
道も分らなくなっていた羊でした。
でも諦めないで捜し続けてくれた人がいたのです。

同じように今も道に迷い、傷ついている
一匹の羊となっている人がおられます。
諦めないで捜し続けたいのです。

特別集会にお出で下さい。

集会に多くの方々が来られるように祈って下さい。

      インマヌエル浜田教会 牧師 山本 剛

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