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島根県浜田市にある教会です。

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この方以外には、
だれによっても救いはありません。
天の下ではこの御名のほかに
私たちが救われるべき名は
人に与えられていないからです。」
           <使徒の働き4章12節>

日本の国には昔からの宗教である
神道や仏教というものがあります。
神道にいたっては古事記や日本書紀を
神道の最古の古典としている程、
歴史があり日本土着の信仰です。

仏教は538年、中国や朝鮮を介して
日本に入ってきた後、聖徳太子によって
正しく理解され、普及されたといわれています。

私達の住んでいる島根県の西部(石見地方)は
浄土真宗の根強い地域であり、開祖は親鸞であす。

その教えは「阿弥陀仏にこの世で救われて
南阿弥陀仏と念仏を唱えれば極楽浄土にいける。」
といったものです。

ある人は「日本人は聖書よりも親鸞の教えの方がぴったりする。」
と言った程です。新興宗教といったものも日本には沢山あります。

そんな日本でなぜキリスト教が必要なのでしょうか。
そんなことを少考えたいのです。

上の聖書の言葉はイエスの弟子のペテロが語った言葉です。
彼は「救いはイエス・キリスト以外にはない。」
と断言しているのです。
本当にそうなのでしょうか。

日本の宗教にも救いはあるのではないでしょうか。
出雲大社は縁結びの神、天満宮は学問の神、
何処々の神社は安産の神といったふうにやはり、
そこに救いというものがあります。
では聖書が言っている「救い」というのは何からの救いなのでしょうか。

それは「罪」からの救いです。
人間は神に向かって生きるように造られています。
しかし、人は神から離れ神に背中を向けて生きています。
これを聖書では的を外す「罪」と言っているのです。
その結果人は嘘をつき、いじめ、妬み、争いをし、戦争や、殺人までしてしまいます。
これは的を外した神に向かって生きていない結果です。
その結果、様々な罪を犯してしまうのです。

例えば、誰かが銀行強盗をして人を傷つけてしまったとしましょう。
その人は捕まり、刑務所に服役します。
刑を終えたなら法律的にはその人の罪は赦されたことになります。
しかし、その人の心の中に、何時までも大きな罪を犯した事実が残ります。
その罪は神に赦して戴く以外、罪の最終的解決はないのです。

そのために人間の罪の身代わりになられたのが、
イエス・キリストであり、このお方を信じて、
今までの罪を悔い改めためることによって
罪から救われると教えているのが聖書であり、
キリスト教なのです。

あなたは神に向かって生きているでしょうか。
あなたの罪はキリストによって赦されたでしょうか。

どうぞ、教会に行きたいと思っておられる方、
是非近くの教会に行って下さい。

そして罪赦されて救われた人になって下さい。

神の祝福を祈っています。
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2008.02.07 / Top↑
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