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島根県浜田市にある教会です。

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『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。』
                           ヘブル書13:5

『イエス・キリストはきのうもきょうも、いつまでも、同じです。』
                          ヘブル書 13:8


ある本の中に日本人の宗教観を記したものがありました。まず人は様々な不都合を体験する。例えば病気、事故、入試の失敗、倒産、借金等、それが起こると恐怖心、不安、あるいは憎しみとなる。
人はその不都合の理由を考える。その同族のしがらみに求めて行くようになる。不幸な死に方をした祖父母、水子、不治の病を背負って死んだ親、あるいは裏切りや憎しみ等をもったまま死んだ身内、こうしたしがらみを思い出すと共にその負い目が今生きている家族に及んでいると考えるようになるのです。
そこで日本人はこのタタリを払うために占いや霊を供養してタタリを鎮めようとする。そして霊が鎮まると今度はこの霊を自分を守ってくれる神としてご利益信仰が始まるというのです。新興宗教のたぐいはこの考え方の上に立っているのです。
日本人の心の中に流れている宗教観は何と暗い希望の無いものでしょうか。

聖書の神、クリスチャンの信じている神はどんな神でしょうか。その事を少し考えて見ましょう。
私達にキリストを通して知らされている神は愛の神という認識であります。

①離れない神
  ヘブル書の記者は申命記の言葉を引用しながら自分達の信じている神は決して離れない神様なんだと言いました。24時間ずーと一緒、私達が天に帰るまで一緒に歩いて下さるのです。星野富広さんの詩に「あなたにあってからわたしは道の真中を歩かなくなった。真中はあなた、私は少し横を歩きます。」この詩の中にずーと一緒に歩いて下さる神を意識されているのが分ります。そんな神様を持つことは幸いです。

②捨てない神
  人は私達を見捨て、捨てるかもしれません。でもイエス様は決して捨てないお方です。
ロンドンに何千人もの孤児を信仰だけで養ったジョージ・ミュラーという牧師さんがいました。彼はよく病気をしたそうです。その度に祈った。祈るけれどなかなか神は助けてくれない。でもギリギリのところで必要な物やお金が与えられるのです。そして彼は何千人もの孤児を信仰だけで養ました。彼は私の信じている神は決して私を捨てなかったと証しをしたのです。

③今も生きておられる神
  私達は昨日の事を語ることはよくする。何十年前に神様が働かれて浜田の町にリバイバルが起こったということはよく語る。でもイエス・キリストは今も同じ様に働かれる神であります。その事を証しする時、初めて「我らの神」ということが出来るのです。私達クリスチャンのする事は昨日の神ではなく今生きておられる神を証しすることなのです。これは簡単なことではありません。でもその事を証しできて初めて「我らの神」と言えるのではないでしょうか。

クリスチャンであるお互い頑張りましょう。
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2008.03.06 / Top↑
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