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インマヌエル浜田キリスト教会

Author:インマヌエル浜田キリスト教会
島根県浜田市にあるプロテスタント系のキリスト教会です。どなたでもお気軽に教会にいらしてください。あなたに神の祝福と守りがありますように…

  島根県浜田市長沢町129-1
  TEL(0855)22-4815


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心の貧しい者

「心の貧しい者は幸いです。
天のみ国はその人のものだからです。」

マタイの福音書5章3節


人は誰でも幸せな人生を送りたいと考えています。
人々は幸せになるために富や名誉や地位を得ようと努力します。
又、ある人は学問や才能や美貌が幸福への道であると考えます。

果たして、これらを手に入れたとしても
本当に人は幸せになる事が出来るのだろうか。

大勢の人がキリストの話を聞こうとして集まって来ました。
当時のイスラエルの人々はローマの圧政の下にいました。
重税に泣いていました。
戦争はありませんでしたが夢も希望も持てない中にいたのです。

現在人である私達も将来に
希望や夢を持ちにくい時代に生きているのではないでしょうか。
そんな時代にあって幸せについて
キリストの言葉に耳を傾けたいと思います。

キリストは山の上で有名な説教をされました。
その長い説教の最初の言葉が
「心の貧しい者は幸いです。」という言葉です。
一番最初に言われたということは
幸せになるための大きな答えがそこにあるということです。
「貧しい」という言葉は
「物乞いをする」という言葉から来ています。
ですからこの言葉は「心の乞食は幸いです。」と
言い換えることが出来るのです。

心の乞食とは何でしょうか。
それは神に物乞いをする人の事です。
私達は、皆、プライド(自尊心)を持っています。
「神に頼らなくても自分の力で生きて行ける。」
と考えています。
又、「神を信じる人は弱い人だ、
努力さえすれば神の必要はない。」と考えています。
しかし、キリストの言っておられるのは、
人間の力には限界がある。
それを認めて神に頼って生きるようにということでしょう。

自分の力で努力しながら戦い、
ある時には悩み、そんな中でも戦い抜く人もいるでしょう。
しかし、自分の弱さを認め
神により頼みながら貧しい者となって生きていく、
本当の幸せはそこにあるとイエス・キリストは教えておられるのです。

あなたも神により頼みながら生きて行く「心の貧しい者」なってみてはどうでしょう。

神は実に
そのひとり子を与えになったほどに、
世を愛された。
それはみ子を信じる者が、
ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。

ヨハネの福音書3章16節

先日、私の良く知っている方の息子さんが
結婚をされて日曜日の礼拝にお嫁さんと一緒に出席されました。
その方達は東京から来てくれたこともあり、
又十年振りに会う事もあって非常に懐かしく嬉しい時でした。

十年振り会った息子さんは少し太ったかなと思いました。
案の定、奥様は主人の健康を考えて
バナナダイエットなるものを始められたとか。
朝食はバナナ一本と水だけということでした。
ちょっと可哀想かなと思いつつ、
これも愛が為せる業かなと思ったことです。

もし、ご主人が奥さんの愛を感じないで
バナナダイエットなるものをされたら3日も続かないでしょう。
奥さんが自分を愛してくれていることが
分っているから頑張れるのです。
それと同じように私達も神が
自分を愛してくれていると分る時、
生きる勇気や喜びが湧いてくるのです。

神がどれくらいあなたを愛しているかと言えば、
神のひとり子イエス・キリストを
十字架に掛けてあなたの罪の身代わりに殺すほど愛している。
此の事が分って、励まされて生きているのがクリスチャンなのです。

東京の秋葉原で通り魔リ事件が起こり、
七人もの人が殺されました。
犯人は「誰でも良かった。人を殺したかった。」

本当の動機は犯人しか分りませんが、
仕事でむしゃくしゃしていた、友達がいなかった。
そんな事が報じられていますが、
もし、家族や友達に愛されていると実感していたら、
こんな事件は起こらなかったのではないでしょうか。
そして「神が自分のために
ひとり子イエス・キリストを十字架に掛けて殺す程、
愛していてくれる。」と分ったら
もっと違う生き方が出来たと思います。

あなたは自分が神に
どんなに愛されているかをご存知でしょうか。
そのことが分るとあなたの生き方も
もっと感謝と喜びに変わってくるのではないでしょうか。

どうぞ教会に出席してそのことを知って下さい。
お祈りしています。

一匹の羊

あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、
そのうちの一匹をなくしたら、
その人は九十九匹を野原に残して、
いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。

     ルカの福音書15章4節

若葉の美しい季節になりました。
この季節、草花が咲き乱れ自然界は命に溢れています。
私達も寒かった冬を越し、
何か希望に心が躍る季節を迎えているのではないでしょうか。

何時も浜田教会のホームページをみて下さり感謝しています。

私達の教会は5月の24日(土)、25日(日)に
春の特別集会を計画しています。

今回は福井教会の中川由一先生を
お迎えしての特別集会です。

中川先生は私と郷里が同じ、姫路で、
教会も同じ姫路のインマヌエル教会出身です。
明るく、面白く、福音を語って下さるので
是非、あなたもお出で下さい。

イエス様はルカの福音書の中で
一匹の羊の例え話をされました。
一匹の羊というのは神から離れてしまっている人を表しています。

そんな一匹の羊をさがすために羊飼いは
九十九匹を野原に残したまま探し続けます。
しかも決して見つけるまで諦めないと言われているのです。


今の時代、ガソリンや物価は上がったと言いながらも
食べるものに困っている人はいません。
日本は豊かになり、生活も便利になっているのです。

それではそれに伴って
人は幸福になっているかと言えば
決してそうではないと思います。

昨今の殺人事件、硫化水素による自殺の連鎖、
私達の近隣でも自殺をした人の事をよく聞きます。
それ程、住みにくく、生きていくのが難しくなってきているのです。

悩み苦しんでいる人が何と沢山いることでしょうか。

群れから離れて迷い出て、
傷ついている一匹の羊になっている人々は
私達の周りに沢山おられるのです。
でもその人達は神様の処に、教会には来られません。

どうして亡くなる前に来て下さらなかったのか。

悔しい気持ちになります。

教会のことをご存知なかったのかも知れません。
知っていても、教会は何か堅苦しい、束縛される気がして
行きたくない、と考えておられたのかもしれないですね。
いずれにしても一人の人が教会に来て、
神を信じて生きるようになる(救われる)のは簡単なことではないですね。


浜田教会も特別集会をして
何時も思う事はそれでも人はなかなか
教会に来ないということです。

でも羊飼いは一匹を見つけるまで
探し続けたのです。

私もかつては神から離れて傷ついて
道も分らなくなっていた羊でした。
でも諦めないで捜し続けてくれた人がいたのです。

同じように今も道に迷い、傷ついている
一匹の羊となっている人がおられます。
諦めないで捜し続けたいのです。

特別集会にお出で下さい。

集会に多くの方々が来られるように祈って下さい。

      インマヌエル浜田教会 牧師 山本 剛

干からびた骨

主は神に仰せられた。
「人の子よ。これらの骨は生き返ることができようか。」
私は答えた。
「神、主よ。あなたがご存知です。」

    エゼキエル37章3節
 

桜の美しい季節も終わり、いよいよ春本番ですね。
進学、就職、転勤等で新しい場所や環境で
生活を始められた方も多くおられると思います。
まだ慣れない生活でしょう。
新しい生活の祝福をお祈り致します。

 インマヌエル教会の牧師の任期は一年ですが、
私達は今年度も浜田教会に遣わされました。

新しい一年、浜田でご奉仕が出来ることを感謝しています。

伝道者(牧師)が教会に遣わされる目的は福音を伝え、
教会を立て上げることです。しかしながら、
それは簡単なことではないとつくづく思わされます。

先日、無差別に人が殺される事件が続きました。
犯人達は「誰でもよかった。」と言ったそうです。

このような事件が起こる度に時代を映している鏡のように思えてなりません。

心が育たないまま、あるいは心が傷ついたまま
体は大人になっていしまっているそんな現代の人の姿を見るのです。

聖書のエゼキエル書の中で預言者、エゼキエルは
谷間に干からびた骨が沢山あるのを神に見せられます。

その骨は捕囚のイスラエルの人々の心の姿であったのです。
彼らは望みを失い、神にも捨てられた、
そんな心で日々生きていたのです。

神はエゼキエルに仰いました。
「人の子よ。これらの骨は生き返ることができようか。」

エゼキエルは答えます。
「神、主よ。あなたがご存知です。」

この意味は「神様、人間には絶対に
干からびた骨を生き返らすことは出来ません。

しかし、神様あなたには出来ます。」
エゼキエルは干からびた骨を見せられても
神に対する信仰を失わなかったのです。

私達の周りの人々は、今は干からびた骨のようになっています。

いくら福音を語っても反応がありません。

いくらイエス様のことをお伝えしても信じようとはしません。

もし、教会が信仰を失ってしまったらそれで終わりです。

エゼキエルのように干からびた骨を見せられても
「神様、あなたは干からびた骨を生き返らすことが出来ます。」と
信仰を持ちたいのです。

その時に必ず神様は干からびた骨を生き返らせて下さいます。

その事を信じて今年もご奉仕をさせて戴きます。

どうぞ教会のために、私達のために祈って下さい。


インマヌエル浜田教会 牧師 山本 剛


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